ヤマト建国にかかわる二つの日本海勢力とは? 山陰地方の意外な地理
シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」⑦
四隅突出型墳丘墓が伝わっていないタニハ
そして、山陰地方で、もう一か所、特筆すべき奇妙な地形を有した土地がある。それが豊岡盆地なのだ。
鳥取市から豊岡市(兵庫県)にドライブすると、予想外の景色に驚かされる。海岸線がリアス式になっていて、峠をいくつも超えていく。
山陰本線の余部橋梁(あまるべきょうりょう)が、ちょうどこの区間にあるといえば、地形のイメージが湧くだろうか。昭和六十一年(一九八六)十二月二十八日、回送中の列車が強風で煽られ、高さ四一メートルの旧余部鉄橋から地上の缶詰工場に落下し六名の死者を出す事故が起きた。
要は、平地のない地形なのだ。東西の交流は、明治時代に山陰本線が開通するまで、「船で往き来」するほかは無かっただろう。この「簡単に隣の集落に歩いて行けない土地」が、鳥取市の東部から奥丹後半島基部の網野海岸(京都府京丹後市)まで続いているのだ。これが、延長約七五キロの、山陰海岸国立公園だ。有名な景勝地に、浦富海岸(鳥取県岩美郡岩美町)がある。
そして、丁度このリアス式海岸がエアカーテンになっていたようで、四隅突出型墳丘墓は越(北陸)に伝わっているが、但馬 、丹波(丹後も含む北近畿)、若狭の人びとは、無視している(筆者は兵庫県豊岡市から福井県敦賀市に続くこの地域を「タニハ」とひとくくりにしている)。
この、陸路を断たれた日本海側のふたつの地域が、ヤマト建国と大いにかかわっていたように思えてならない。
ふたつに分かれた日本海勢力のそれぞれの思惑が、意外な副産物を産み出していくのである。
シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」⑧に続く。
【『地形で読み解く古代史』より構成】
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